2024/06/26 16:07
英国人を両親として、パリに生まれ生涯の大半をフランスで送った。穏健な造形感覚と爽やかな叙情性を特性とした印象派の画家。 貧窮のうちに没したが、死後声価高まる。こんなに自然と自分の距離感を適正に...
2024/06/26 16:07
ジョルジュ・スーラ(1859-1891) 「アスニエールの水浴」 ジョジュル・スーラ(1859-1891)が自分の理論、点描法により制作した作品だ。点描法、というこれまでに見たことのない絵の描...
2024/06/26 16:06
「ビッグベン」イメージサイズ(大)63.5×52cmイメージサイズ(小)24.5×20cmフランスの画家。マティス、ブラマンクらとともにフォービスムのメンバー。強烈な色彩を用いて奔放に描いた。ドランはこ...
2024/06/26 16:04
藤田嗣治(1886-1968)生まれは東京、「火事は何処だい牛込だい」の牛込の大曲(おおまがり)で生まれた。東京美術学校(現 東京藝術大学)卒。1913年渡仏、「エコール・ド・パリ」を舞台に名声を...
2024/06/26 13:42
版画作家分嶋健介がニューヨークのアートスチューデントリーグに入学。そこで出会った師がウイル・バーネットであった。バーネット教授は浮世絵に心酔していた。嶋島は「浮世絵について逆に学びましてね」と、そ...
2024/06/26 13:41
幼年期、狩野派の画家に日本画の手ほどきを受ける。高校を卒業後ロサンゼルスのシュナード美術学校(現カリフォルニア芸術大学)へ留学。卒業後、ニューヨークに移り、アートスチュウデントリーグに入学。当時、画...
2024/06/26 13:40
芦屋市近在の方は小出楢重(1887-1931)の名は耳に親しいと思うがその小出楢重の旧住所跡を訪ねてみようと思う。とそんなことを想いつつブログを書こうとしています。コロナのいつ収まるあてもない不安...
2024/06/26 13:38
1951年の秋、ゲバラと友人の兄グラナードは南米大陸を回って北米にまで至る旅。その足は、中古のノートンアカウント500「ボデローサ(強力)号」名前は勇ましいがオンボロのバイク。 エルネスト・チェ...
2024/06/26 13:38
パンフレットの冒頭に「胸躍る、遊び心たっぷりの魔法のような物語。これぞまさに、ウディ・アレンの真骨頂!」とある。このコピーは、宣伝文句でもなければ、いささかも大袈裟とは言えないのだ。 美術好き...
2024/06/26 13:36
このタイトルは「ポロック」と題する2003年のアメリカ映画の解説パンフのものだ。「アメリカ・アート界のスター」ジャクソン・ポロックの波乱万丈な人生を描く。1940年代の頃はまだ見向きもされなかった...
2024/06/26 13:34
ブレッソンは最初、画家を志したが1930年から写真家、報道写真家として活躍。対象を瞬間的に理解し的確な構成で表現することを「決定的瞬間」と称した。彼は写真通信社マグナム・フォトスの創立者5人の一人。...
2024/06/26 13:34
微妙な色彩や幻想的な肌目(きめ)を楽しそうに描いている。そして静物画に秀作を生む。以下作家、題名,制作年を記す。ピカソ「若い娘の肖像」 1914年ブラック「黒い円卓」 1919年ピカソ「三人の音楽...
2024/06/26 13:33
大阪国際空港、戦時中は伊丹空港と呼ばれ、日本軍の空軍基地であった。戦後米軍が伊丹空港を接収し、幹部将校の家族の住まいに新伊丹の高級住宅をも接収した。そこは私の中学への通学路で彼らの車のある暮らしに...
2024/06/26 13:32
現代アートに一気に溺れ流され、気がついたらこの作品に偶然たどり着いたのだ。そしてゴヤ「噂をする婦人」がどうしたというのか???ゴヤのほかのスペイン作家について謎を秘めた様々な世界が超高速で頭を駆け...
2024/06/26 13:31
2021年6月1日、緊急事態宣言に伴う休業要請が緩和されたことを受け、、東京都内の多くの美術館は展覧会を再開した。その中にあり、6月13日までの会期だった。渋谷区立松濤美術館「フランシス・ベーコン バ...