2024/06/26 22:33
脱サラしての初の起業。それが国内外で大活躍の作家のお力添えを頂けるとは。
無智と若さと大胆さ。オープニングパーティは大入り満員でジャーナリスト、文化人、一般人の大波小波。
いったいどんな縁で津高和一先生を知ったのか、50数年前のことでもあり、全く記憶がありません。
そのあとも行動派というか、猪突猛進(私の干支は猪)というか、いまふと大学生の時のゼミの教授が採用面接で発せられた言葉をおもいだす。
「何事にでもよいから打ち込め、努力家であれ」
その言葉のおかげでラッキーを呼び込むことができたんだと。ただただ感謝…。
(ゼミの教授とは高名な民法学者・柚木薫教授、後の神戸大学学長)
ギャルリーシャルグラン(芦屋)の津高和一展
1974(昭和49)年 津高和一63歳 「水と墨と色」水墨展
1977(昭和52)年 ” 66歳 「津高和一石版画展」
1978(昭和53)年 “ 67歳 「彩墨展―水墨画、陶板、ガラス絵,軸などを出品」
津高和一 画歴
1911 兵庫県西宮市に生まれる
1952 行動美術協会会員
1954 日本現代美術展、日本国際美術展、ゲンビ展出品
1956 世界今日の美術展出品、モダンアートフェア出品
1957 サンパウロ・ビエンナーレ出品
日本現代美術展優秀賞受賞
1960 グッゲンハイム賞美術展出品
1963 日本現代絵画秀作50人展
1964 世界現代美術展出品
西宮市市民文化省受賞
1967 兵庫県文化賞受賞
1973 現代版画作家展出品
1974 プリント現代10人展出品
1981 架空通信テント美術館展出品(1986まで)
1995 死去
津高和一 水墨 遺作
ゲンビとは新しい造形を志す人びとが所属団体を超え、自由な個人の立場で語り合える場として1952に結成した「現代美術懇談会」を指す。
呼びかけ人は吉原治良、須田克太、山崎隆夫ら。津高も主要メンバーだった。
津高和一「母子像」1951
小さくうずくまった幼子を大きく抱擁するように描かれた母の図像。
津高と抽象絵画を結びつける初期作品だ。
思い切った線描表現によるものだ。津高の幼児体験、心象風景ともみえる。
津高和一「埋葬」1952
さらに次の年には完全抽象による作品へと迷うことなくつきすすんでゆく。
著作・参考文献
断簡集 1946
架空通信 1963
騙された時間 1983
僕の呪文と抽象絵画 2005
津高和一追悼展―絵画と詩のはざまで―1996
美の生理-造形言語と内臓言語とー1965美術誌no825
書斎画廊所蔵の津高作品
「無題」水墨画 額外寸29×32.5cm
「無題」水墨画 額外寸30.5×26cm
「無題」油彩 F4 額外寸33×42.5cm