2024/06/26 16:33

以下このLPレコードの解説より抜粋して記す

 

1924年、トルコから移住したアルメニア人家族の息子としてパリに生まれた男が、1976年、パリのオランピア劇場でステージに立つまでの半世紀の時の流れは単純な努力と情熱では語りつくせぬものだ。

世にいう美男子でもなく、背は低く、つまり、かっこよくない男。だがアズナヴールは、コンプレックスをはね返そうとせずに、ひたすら耐える。

(注)アルメニア 南米コロンビアの西部 セントラル山脈の麓の都市

 

アルメニア人、チビ、とばかにされ、歌手としてデビューしても「あの容姿で、あの声で、客の前に出ようとは、何たる自信過剰。

思い上がりだ。」とまで露骨に批評された。

その哀れさを逆手に利用することを覚えてしまった。彼の歌には、そんな影ある人生の哀愁が切々と流れる反面、゛生きる"という行為に不届きなほど、大胆な自信がある。

1976年のパリのオランピア公演は、まさに、ひとりの男のドラマである。

 

1991年の初夏、来日公演。私も心を躍らせ駆けつける。その時の歌゛ラ・ボエーム"(その日暮らしの人)は特に印章的。

<ラ・ボエーム>歌詞の一部分

 二人の愛の巣は 

 見栄えの市内

 慎ましい家具つきの貸間だった

 二人が知り合ったのはそこだった

 僕は空腹を嘆き

 きみは裸でポーズをとっていた(アズナブールは絵も描いた)

 

 栄光を待ちわびる僕たちは
 近くのカフェで ひとかどの人物だった 

 空腹を抱えて

 貧しかったけれど
 栄光の日を信じてやまなかった    

  

 ラ・ボエーム ラ・ボエーム

 つまり 二人は二十歳だということ

 ラ・ボエーム ラ・ボエーム

 僕らは食うや食わずで暮らしていた

 

 気まぐれたある日

 昔住んでいたあたりに

 出かけてみた

 僕の青春を見守っていた

 家々の壁も街の通りも

 もう見覚えのないものになっている

 

 階段の上の方に

 アトリエを探したけれど

 何ひとつ残っていなかった

 目新しい景色に包まれて

 モンマルトルは悲しげな面持ちだ

 リラの花は枯れた

 それは もう何も意味しないということ

 

このシャンソンを歌うとき、アズナブールは白いハンカチを巧みに使う。

ある時はそれで絵具のついた手や絵筆を拭く仕草をする。

ラスト近く「リラの花々は枯れた」という箇所では、パッとなげすてる。

その瞬間、ハンカチはリラの花々に変わってステージ上に散り落ちてゆくかのようにも見える。それは実に効果的だ。

ところが、日本の観客は舞台の方に群がってキャーと声を発して拾おうとする、この光景を見て折角の効果のハンカチさんゴメンね、気を悪くしないでと僕は心の中で呟いた。