2024/06/26 16:10
オディロン・ルドン 1914年5月
ルドンは1840年ボルドーで次男として生まれる。
母は長男のエルネストを偏愛し、幼い頃から孤独を感じがちだった。
生まれてすぐに、叔父の家に里子にやられる。叔父の家はボルドーと近いランド地方(フランスで最も荒れた大地)にある。
ルドンは生まれながら虚弱体質であり、その環境に心身ともに適合を欠いた。
人より遅れて11歳でボルドーの小学校に入る。
授業には苦しんだが、絵は好きで賞をもらったりした。
幼年時代の早くから孤独感が強く、愛情に恵まれない心は、おのずと音楽や絵画に向かう。
彼のその後の歴史の始まりとなる。
十五歳の時、ルドンはボルドーでゴランという水彩画家に素描を習う。
ゴランの絵画教育は美術学校へ行くことよりよかった、と後年語っている。
それは絵画技術を実際に教えるというより、ときたまボルドーでみられるドラクロワやミレーやコローの作品を前にしてその芸術の真髄を知らせることにあった。
さらにこの頃、ルドンの芸術に決定的影響を与えることになる自然科学者アルマン・クラヴォーとの出会いがある。
クラヴォーはボルドーの植物園長をしていた人で、動植物の生態の神秘的な微細な世界を探究した。
また学者であり芸術家でもある彼は、若いルドンに自然や植物の生態の神秘を語り、また詩聖ボードレールの「惡の華」をルドンに読むことを薦めたりもした。
ルドン 「生きている花」 水彩
不気味な目の人の顔が美しい花弁に囲まれて、植物の生態の神秘を表そうとした作品なのか?
詩、音楽、哲学がルドンの思索のきっかけとなり、自然の神秘の探求が、自己の内的世界への探求、彼の芸術世界へとつながってゆく。
ルドンは生涯いずれの流派にも属さずに描いた、稀な画家の一人である。
つき合う人たちと言えば詩人、文人、音楽家などのほうがむしろ多かった。
ルドン 「少女 スミレの花」1910 (米)クリーブランド美術館 (米)ショワウッド社プリント
イメージサイズ59×45.5㎝
ルドン 「花々」 (オランダ)ABRAMS社プリント
イメージサイズ55.5×43cm
ルドン 「青い花瓶の花」 (米)ショワウッド社プリント
イメージサイズ56×69.5cm
ルドン 「花瓶の花」1865 ルーブル美術館蔵 (米)ショワウッド社プリント
イメージサイズ41×56.5cm
ルドン 「ブーケ」1908 (仏)アザン社プリント
イメージサイズ20.5×27cm
1900年を境として、1916年7月に亡くなるまで、詩とも音楽とも感じられる神秘的な花の絵の数々を描いた。
石版画の作品で盛んに描いた妖怪も、彼の画面から消えていった。
しかし、花の絵の異様なまでの神秘的美しさは、それまでの画風との矛盾を少しも感じさせない。