2024/06/26 16:09

シャイム・スーチン 「バラの少女」  (仏)アザン社プリント

イメージサイズ30.5×48.5cm


シャイム・スーチンは現在のリトアニア共和国(旧ソビエト連邦)の小さな村に生まれる。

ユダヤ人の父は村の仕立屋。

父は靴屋にさせるつもりだったが、シャイム・スーチンは絵を描くことが好きであった。

13歳でロシアの都市ミンスクに出て写真屋の修正の仕事を手伝いながらデッサン教室に通い始める。

その後美術学校に通い、そこで一人の医者に出会う。

その医者は、スーチンを画家としてデビュウさせるために世話をする。それでパリは行くよう援助。

1913年スーチンはパリへ行き、ラリューシュ(仏語で蜂の巣)という画家のアトリエ専門の貸家に住む。

 

シャイム・スーチン 「カーニュの赤い階段」1918

 

ラ・リューシュ(蜂の巣)でモディリアーニとも親交を重ねることになった。

モディアーニはスーチンの才能を高く評価し、画商たちに絶えず彼を推挙していた。

その画商の一人が、セーヌ街に画廊を営むズボロフスキーであった。

 

ズボロフスキーはスーチンの作品をフランスやアメリカの有名なコレクターに紹介した。

そのことが、きっかけとなり 彼の絵が,急に高くなったのは1923年からだ。

 

第二次大戦中はスーチンがユダヤ人だったため、友人の家に隠れるなど悲惨な生活をしいられた。

1943年腸の病気でパリの病院で死去。墓はセーヌ左岸のモンパルナスにある。

<参考文献> 河盛好蔵 「パリ物語」