2024/06/26 13:31
ペンシルヴァニア州西部の富裕な中産階級の家庭に生まれた。
1861年から1865年までペンシルヴァニア美術アカデミーに在籍し、その後パリに遊学。
(美術学校で女子学生はヌードを描く教室に入れてもらえなかった。
カサットは、それに失望してパリに行ってエコール・デ・ボザールで勉強する)
1874年よりパリに定住。毎年サロン(毎年定期的に開かれる美術展)に出品した。
1877年のサロンでカサットの作品を見たエドガー・ドガは、彼女を印象派の仲間に加わるよう誘った。
1879年の印象派第4回展から、1886年最後の展覧会となる第8回展まで印象派展に、カサットは出品を続けた。
(第7回展1882年にはドガの不参加に追随、不参加となる)
このグループの展覧会に出品した唯一のアメリカ人であった。
1904年、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章が贈られている。
視力の衰えで、1911年以降の制作は途絶え、15年後82歳で亡くなる。
メアリー・カサット 「庭に立つマーゴット」1902 メトロポリタン美術館蔵
マット外寸67×87cm
メアリー・カサット 「母の子へのキス」1891 (仏)アザン社プリント
マット外寸28.7×37.8cm
メアリー・カサット 「フォントヴェイユ夫人の肖像 スケッチNo.1」
1902年頃 鉛筆、紙
この画家の特徴がよく現れている作品。
流麗な線、感受性豊かな女性描写を見ることが出来る。
(The National Museum of Women in the Arts より転載)
メアリー・カサット「5時のお茶」1879 ボストン美術館蔵
フランスにて描かれた作品、画面左は妹でアーティストのリディア、右の帽子に手袋の女性は来客。
銀器はカサット家伝来の家宝。
(Masterpiece Paintings from the Museum of Fine Arts,Bostonより転載)