2024/06/22 16:47

ルソーは特異な画法で幻想的な熱帯の密林を描き、現代画家に多大な影響を与える。

ルソーの祝宴  美術史上の事件と言われている、そのわけとは?

それは1908年11月、27歳のピカソがモンマルトルのラヴィニャン街にあったアトリエで64歳のルソーのために催した祝宴。なぜピカソがこの夜会を開いたのか、その動機はモンマルトルの古物屋で見つけたルソーの描いた「女の肖像」(等身大の)にあった。

 

ピカソがルソーを高く評価し、影響も受けたことはルソーの作品四点を終生身近に飾っていた事実でもわかる。

ピカソにルソーを紹介したのは、詩人のアポリネールと思われている。

出席者の中にはアポリネールとその恋人マリー・ローランサン、ブラック夫妻、ガートルード・スタイン兄弟などがいた。

そして例の「女の肖像」が飾られていた。

食事が終わり、デザートに入ったころ、アポリネールやサルモンが次々と立ち上がって、ルソーを讃える詩を朗読し「万歳、ルソー万歳」と全員が唱和した。

食後には、いくつも余興が演じられ、ルソーもお得意のヴァイオリンを取り出しオハコの「あいたった、歯が痛い」などの俗謡を歌って大うけだった。

その夜は、ルソーにとり夢と現実が一体となった夜であり、近代絵画の夜明けを告げる夜でもあったのだ。

アンリ・ルソー  「眠るジプシー女」 1897年作 ニューヨーク近代美術館 

アンリ・ルソー 「ライオンとジプシー女」

額外寸 28.7×37.8cm 

 

砂漠に黒人女性がひとり静かに眠っている。

顔のすぐそばにライオンがちかづいているのに、安らかに眠っている。

この不思議な、ありえない情景を、ルソーは丹念に描くのだが、この場面でどんな夢をみているのか? だれにも理解しがたく、嘲笑と非難を浴びた。

だがルソーは、この作品に愛着と自信を抱いていたのだ。

ルソーが亡くなってから約二十年間、その作品の行方が分からなくなっていたのです。それが分かったのは、第一次世界大戦ごのことだった。

アメリカの収集家に買われていたことが分かったのだ。

コクトーはこの作品について「それはルソーの想像力が生み出した幻想の世界である」.…と。